広沢克己選手は、小山高から明治大へ進学した。高校時代は甲子園出場こそなかったが、大学で長距離砲として頭角を現し、東京六大学リーグでは主軸として活躍。1984年のドラフトでヤクルトスワローズから1位指名を受けて入団した。
プロ入り当初から強打の一塁手として期待され、1986年にレギュラーに定着。豪快なフルスイングが特徴で、1988年には30本塁打を放ち、91年・93年打点王のタイトルを獲得した。ヤクルトではクリーンアップを任され、長打力で打線を支える存在となる。1992.93年にはリーグ優勝に貢献し、日本シリーズにも出場。勝負強さと存在感でチームを牽引した。
1994年オフFA権を行使して読売ジャイアンツへ移籍。当時、強力打線を誇っていた巨人においても中軸として起用され、環境の変化に適応しながらプレーした。経験豊富なスラッガーとして存在感を発揮する。一方で故障や成績の波もあり、ヤクルト時代ほどの数字は残せなかったが、チームにとって貴重な戦力であり続けた。
2000年には阪神タイガースへ移籍。若手主体のチームの中でベテランとして打線を支え、主に代打や一塁手として起用された。長打力は健在で、ここ一番での勝負強い打撃は阪神ファンの記憶にも残っている。2003年限りで現役を引退した。
通算成績・タイトル
1893試合 1736安打 306本塁打 985打点 1529三振 打率.275
打点王2回


コメント
*広沢克己* 選手は、 *ヤクルト* の4番で活躍。 *ホームラン* は30本が最高と言うのは意外な感じだ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
アーケードのファミスタ、ワールドスタジアムでチャンスにスパローズのひぽさわが打席に立つと放り込めホームラン(大杉勝男流用)がかかってたんだよなぁ〜ワイは右へ左へ場外へより放り込めホームラン派っすw
広沢選手がドラフト指名された年に金敷選手と小山高校にきて野球教室をやってくれた。小山市内の小、中学生の野球少年が集まったのを覚えてる。
広沢は巨人こなきゃもっとよい成績や連続試合出場できたのにね。勿体ない
明大出てる地点で
練習嫌いなのは嘘やろw
最近見ないね
ヤクルト、巨人からも声かからないし解説でもみないし
ヤクルト
右へ左へ場外へ
放り込め広沢
肩も強い大物だ
勝利呼べ広沢
巨人
男広沢広沢
打てよメガトンホームラン
熱く燃えろ熱く燃えろ
ぶち込めホームラン
阪神
勝負だ一発吠えてくれ
スタンドめざして狙い打ち
広澤 広澤 広澤克実
ヤクルトの4番として連覇に貢献
日本一を手繰り寄せる3ランも
巨人→阪神と渡り歩き4番を経験して優勝メンバーに入る
引退後は解説者として解りやすい解説をしている
広沢も竹田も韓国人だったんだよなぁ。
勝負強い打撃が売りでしたが、意外と器用で(1986年に延長で控え内野手がいなくなりぶっつけ本番でサード守備、また1990年には4番センターもあり)脚力もあり、走れなかったヤクルトでは盗塁1位だったこともありました。また外野転向1年目の序盤こそ守備固めが起用されることが多かったですが、その後は殆ど交代されなくなりました。
野村監督時代のヤクルトの不動の4番でしたが、それまでの5年間の土橋監督と関根監督のガマンが大きかったですよね。功労者なんですが、なんでヤクルトは大事にしなかったのかな…
日刊ゲンダイだから信憑性が低いが池山監督がコーチとして青木に希望するも却下されたヤクルトOBとは広沢克己だと思う
トラさん