1973年ドラフトで巨人から1位指名を受けながら、プロ入りを拒否した小林秀一。熊谷組で社会人野球を全うし、愛知学院大学監督としてチームを12度優勝に導くなど指導者としても活躍。アンダースローの名投手としての軌跡を振り返ります。
当時リアルタイムで観ていた世代の方はもちろん、知らなかった若い世代の方にも、
“あの時代の野球が、どれだけ熱かったのか”を届けていきます。
ぜひコメントで、あなたの記憶も聞かせてください。
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コメント
ここまで意志を貫き通すのも立派です。入団してたらつぶされていたかも知れません
金や名誉も捨て自分の信念を貫く姿勢は称賛に値します、中々出来ません
令和の学生野球の指導者にプロに入ってからでもなり易い環境ならプロ入りしてたのかなって思うのです。
良い選択だったかと‥‥その後に怪物・江川が入ってくる事で騒動にも巻き込まれたりしたやも?知れんし‥‥。素晴らしい、野球人生じゃないか
巨人を振った男…。
球団に入って成功する保証はないですからね。ただ当時の巨人は長嶋茂雄を始め、主力選手にも衰えが見え始めていたので、この人が入ってもV10は薄かったかもしれません。
湯口敏彦さんの事件聞いたことありますね
アレは二軍監督だった中尾碩志さんと川上哲治さんの共犯だと思います。