小池秀郎投手は、亜細亜大4年1990年のドラフト会議では史上最多タイとなる8球団が1位指名。抽選の結果、ロッテが交渉権を引き当てたが、入団を拒否した。この“ドラフト騒動”は大きな話題となり、小池投手は社会人・松下電器で再びプレーする道を選んだ。
2年後の1992年、近鉄バファローズだけが単独1位指名し、ようやくプロ入りを果たす。満を持して臨んだプロの舞台だったが、1年目(1993年)は27試合登板・3勝4敗2S防御率3.95と苦しいスタート。即戦力としての期待には届かなかった。
1997年に小林繁コーチと取り組んだフォーム改造で本領発揮。シンカーもマスターし27試合登板で15勝6敗・防御率2.96を記録。パ・リーグ最多勝のタイトルを獲得し、近鉄のエースとして君臨した
しかし、以降は再び不安定さが露呈。1998年は7勝3敗(防御率6.81)、1999年も6勝11敗(防御率4.05)と下降線をたどり、2000年に中日へ移籍。中日では2年間でわずか4勝にとどまり戦力外になりテストを受けて2002年に古巣・近鉄へ復帰。2003年サイドスロー転向で中継ぎで奮闘。
2005年、創設間もない東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍し、11試合登板で現役引退。1997年を除けば「期待されたほどの結果を残せなかった左腕」とも言えるが、8球団競合という異例の注目度は今もプロ野球史に残る。
通算成績・タイトル
309試合 51勝47敗2S 防御率4.40
最多勝1回
コメント
*小池秀郎* 投手は、 *8球団競合ドラフト1位* しかし *ロッテ* 入りを拒否。タラればだが、ロッテ入りしていたらもっと勝てたし活躍できたのではないでしょうか。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
名指しでロッテへの嫌悪感を口にしなければ、金やんを刺激して強行指名される事も無かったのにね…
身長は公称175cmだけど画像を見ると170前後ぐらいに見える。
ドラフトで8球団も競合したのは野茂の頃と違って
他に大物選手が少なかったからということもある。
確か松下電器時代のドラフト会議の際、会社とは全く関係のない場所で待機していたかと
当時在籍していた会社ともうまく行ってなかったのかと勘ぐってしまう
ロッテ入団拒否に関して、当時の金田監督が激怒して「小池!そんなにワシが嫌か!!」と叫んだそうで。
ぶっちゃけ嫌でしょ笑
逆に嫌じゃない人なんているのか?
松下電器から近鉄入りして正解だったと思う。最多勝のタイトル獲得やシーズン73試合登板とかも近鉄だったからこそ。何より近鉄の水が小池には合っていた。近鉄で築いた人脈は本人にとっては何よりもかけがえの無いものだろう。特に野茂とは現役の時から大親友で引退後もNOMOベースクラブの顧問を任されるほどだしね。
小池さんと野茂さんは同級生なんですね!
なんか不思議な感じですね
たらればを言ってもしょうがないがロッテに入団していればと思う
左の大投手カネやんが監督で伊良部、小宮山、牛島、園川、荘、と手本や刺激になる投手陣だった
いかんせん当時のロッテは環境がひどかったから入団拒否も致し方ないのかもしれないんだけど
小池投手は亜細亜大4年生になるまで余り知りませんでした。最終学年の春に新記録作って一躍ドラフトの目玉になった感じです。所謂瞬間最大風速が1990年に吹いただけじゃないかな、と思ってます。
スピードガンの表示以上にキレとか勢い感じる球だったよね
金やんのガッツポーズと小池の茫然とした表情がww
まぁ指名するのも自由だが、拒否するのもまた自由
当時、亜大 小池と後に中日入りした日大 落合の投げ合いを神宮で見た。
落合は9回を完投しノーヒット。小池は被安打1。9回終了時点で疎らなスタンドから拍手が起こった。
翌日の東京新聞のスポーツ欄に小さく記事が出ていた。0対0では、ノーヒットノーランびは成らないと。結局延長で小池が打たれた記憶が。。
日米大学野球の好投はスポーツニュースで見て、カッコイイと思いました。金田監督が強引にその場で変更したようですね。松下時代はキューバ相手に好投した記憶があります。ドラフトのたびに小池を思い出します。ロッテに入団した姿を見たかったです。
松下電器の監督が「こいつはどうせすぐいなくなるから」って酷使しまくったらしいね
ウソくせぇ
小池秀郎さんの亜細亜大学硬式野球部の2学年先輩にのちに亜細亜大学硬式野球部の監督を務めた生田勉さん
髙橋遥人大好き生田監督か