今回は、メークレジェンドを作り上げた選手たちと
それを指揮した原の激動の2008年シーズンを振り返っていきたいと思います。
原監督はどこまでこの展開を予想していたのか
そしてどのようにしてメークレジェンドを起こしていったのか
歴史の1ページを振り返る準備ができた方はご一緒にどうぞ。
0:43 連覇に向けた超大型補強
5:04 まさかの開幕スタート失敗
12:02 首位猛追、原監督の狙い
16:57 大逆転優勝メークレジェンド
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コメント
本来なら阪神が優勝するはずだったんやけど、巨人の追い上げがほんま凄かったなぁ
この頃の巨人の躍進をかげながら支えた男がいたその名は木村拓也。レギュラーではなかったけど代打や守備固めで終盤の切り札として原監督も重宝していた。(2009年の急造捕手が有名)コーチになってすぐにくも膜下出血で亡くなった時はショックだった。
この年は抑えにプルーン(を取ったことで前年抑えの上原を先発に復帰し、上原の先発復帰も一つの補強とした)、攻撃力アップとしてアレックス、前年最多勝のグライシンガーを取ったり、あとあわやチュニドラから福留も取る予定だった。
その大型補強が主役となるシーズンかと思いきや、終わってみると全員野球でそれまで支えてきた中堅ベテランと、これから支えていく若手がアジャストした1年だった。
まず開幕投手に上原を投げさせなかったのが意味不明だったし、開幕ローテが完全に裏ローテだった。
開幕カードの89610がオープン戦の延長みたいに扱って、その後のホーム開幕戦のチュニドラ戦を事実上の開幕としたこと(89を舐めてたこと)が開幕5連敗につながったと思う。
この時代の中日をチュニドラって呼ぶ人初めて見た
ラミは守備という難点はあったけど打撃ではしっかり頑張ってた。ラミがホームラン打つたびにダンディ坂野の知名度が上がっていった。