野球の始球式(大隈重信が始祖)玉置通夫さん2023年9月14日

始球式

野球の始球式(大隈重信が始祖)
スポーツ近代史「余話」
講師は玉置通夫さん(大阪スポーツマンクラブ会長)
2023年9月14日 

 野球の試合には、始球式がつきものだ。社会的に話題の人が担当することが多いが、全く違う方向に投球するなど緊張感を和らげる効果もある。従来、米大リーグではスタンドからグラウンドにいる選手に投球する形式だったが、現在では日本と同様、マウンドから打者に向かって投げる形式が採用されている。

 野球が国内に輸入された明治時代初期は、文献に始球式を伝える記事が見当たらない。試合そのものに集中するあまり、セレモニーをする意識もなかったものとみられる。そんな中、初めて新聞史上に始球式の様子を伝える記事が掲載されたのは、明治41年11月23日。前日の22日に安部球場で行われた大リーグ選抜チームと早稲田大学の試合前、元首相の大隈重信が投じたものだ。球は打者・山脇正治から大きく逸れてしまったが、大学の総長でもある大隈に恥をかかせてはいけないと思い、空振りした。以後、始球式の際に打者が空振りをするようになったと言われている。

 大隈は外務大臣時代の明治21年10月18日、閣議を終えて外務省の門前で右翼団体玄洋社の元社員・来島恒喜に爆弾を投げつけられた。爆弾は大隈の右足付近で爆発したため、右足を失う大怪我を負った。来島は当時国論を二分していた条約改正問題で大隈の対応を批判しており、爆弾投下後、大隈の面前で首を切って自決した。このため、大隈は義足生活を余儀なくされており、始球式の際も杖をつき、側近に支えられながらマウンドに立った。これでは全力投球はとても無理で、力のないゴロ投球になったのも無理はなかったと思われる。

 始球式には知名人が登場することが多く、プロ野球で現職の首相が行ったのは、昭和32年3月30日の巨人―国鉄線での岸信介だけ。高校野球では、2003(平成15)年8月7日、第85回全国高校野球選手権で小泉純一郎がストライク投球を披露している。また、米国での最古の記録は、1892年のウエスタンリーグ開幕試合でのオハイオ州知事(後の大統領)・マッキンリー。大リーグでは、1910年、ワシントンセネタースの開幕試合に27代大統領のウイリアム・タフトが嚆矢である。タフトは肥満気味だったため、側近が運動をさせようとして企画したと伝えられている。

 始球式に似た儀式は野球以外の競技にもある。サッカーではサイドからピッチに蹴りいれる「キックイン」、ラグビーは「ぺナルテイキック」。バスケットはコートの選手にボールをパスし、選手がシュートする「ティップ・オフ」であり、バレーボールではサーブを行う。変わった始球式はアメリカンフットボールで、試合前に先攻後攻を決めるコイントスを審判の代わりに行うが、ボールを蹴り上げるキックオフもある。

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