コメント

  1. 宇野さん 本人談で
    ロッテ トレードでモチベーション
    下げていたから成績も伴わなかったかな。
    確かに当時のセ・パ人気格差は歴然だから
    仕方ないのかなあ

    • 五番ショートで故郷でも やっぱりモチベーションが

  2. 7:05
    「エノキボンバWAY」

    • キューティー福沢とか ロッテは何故かプロレス系?

  3. 5:57 八木沢荘六監督の休養により、マリーンズの指揮を執ることになった中西太代理監督

    • @ベイ1998ジェファン
      日本ハムが日拓ホームフライヤーズを買収して、日本ハムファイターズとなった時に、日本ハムの大社義規オーナーが香川県出身で、同郷の三原脩氏が球団社長に就任し、やはり香川県出身で、三原氏の娘婿に当たる中西太氏が監督に就任されましたね。

    • コーチの球団数も監督代理の数も凄い❗仰木監督退場になって近鉄 オリックスでも 阪神 西鉄 ヤクルトでも

  4. 5:18 千葉ロッテ・中山雅行投手は、熊谷組野球部出身の最後のプロ野球選手の1人です(同年のドラフトで熊谷組からプロ入りした選手は、波留敏夫選手・遠藤政隆投手)

    • 熊谷組の野球部が失くなったんですよね確か

  5. 宇野勝選手は、成績不振、出場機会減少により、千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受け、移籍先を探したものの見つからず、結局は1994年限りで現役を引退することになりました。
    当初は、翌1995年から星野仙一氏が中日ドラゴンズの監督に復帰して、宇野選手もドラゴンズに復帰することになっていました。
    しかし、長嶋茂雄監督率いる讀賣ジャイアンツとの10.8決戦でプロ野球を盛り上げた功績から、高木守道監督が留任することになり、星野氏と宇野選手の中日ドラゴンズへの復帰話は、立ち消えになったそうです。

    • トレードした監督でしたから守道は まぁナゴヤで解説したりやコーチされましたね

  6. やはり、お客様少ない。

    • まだまだマリーンズが千葉に受け入れられなかったのかな 千葉出身の永島敏行も一応応援はしたけど…バレンタイン監督になってホントにファンになったとか

  7. 大島の引退試合観ました。
    まだまだ打てるのに何故引退するのか、と当時子供ながらに思ってました。

    • 当時のお偉いさんに君の引退は2年前から決まってるんだからって言われて冗談じゃない❗って辞めたとか そのお偉いさんがいなくなって監督で復帰しました

  8. 伊良部と大島はあちらで名勝負をしているんだろうな。

    • 柴田も仲間入りするなんて…
      早すぎますよ。

    • 何か「島」対決みたいw

    • 伊良部もそうでしたね

  9. 明らかに打ちにくいタイプを打つ宇野 そういう試合あったとは知らなかった

  10. 柴田は病が無ければなぁ…

    • 心臓ですから

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